ボランティアの憂鬱

何の気なしに、寄付を募るボランティア団体の脇に立ってみた。

単純に待ち合わせで立つ場所がなかっただけで、嫌がらせをしたかった訳ではないことは最初にお断りしておく。

それにしても、見ていて何かこうモヤっとしてしまったのだった。

その団体、20代の男女、50前後のおじさんなど人数は5人程。駅の前に立ち、声を張り上げて通行人に寄付を募っている。

しかし、僕が脇にいた20分の間に一度も寄付をした人はいなかった。興味すら示していない。あの調子だとその後も寄付は集まらなかっただろう。1人いたけど結局サクラだった。

5人が数時間頑張ってどれほどの寄付が集まったのだろうか。

恐らく、殆どゼロに近い金額だったのではないだろうか。

そうすると、彼らの行為は殆ど無意味だったといえる。お金が集まらなければ活動すらできないはずだからだ。

であれば、同時間にアルバイトでもして、稼いだお金の中から自分で寄付をしたほうがずっと金額は大きくなるはずだ。あれだけ暑い中、声を張り上げられるほどの肉体と精神の持ち主ならそうすることも可能だろう。結果的に、彼らが目的とする活動の成果にもつながるのではないか。

なぜ駅前で寄付を募る行為を選んだのか疑問だ。活動の認知度を上げようと考えているのだろうか。しかし、認知度が上がれば寄付金は増えるとは言えまい。

自分で稼いだお金を払ってボランティアしている人から見たら、自己満足にしか見えないだろう。

ボランティアしていない人から見てもそうだ。彼らは、ボランティアしていない奴に言う資格がない、なんて言うかもしれない。しかし、頑張って働いて税金払うほうが彼らよりよっぽど社会貢献という意味では効果性が高そうだ。

税金の有効利用に関しては色々議論はあるにしても、少なくとも復興支援は税金の投入で成り立っているわけだし。

これはまさに行為が目的化している例だ。”ボランティア的な活動をしている”という自己満足があるかもしれない。
自分の身銭を削って、被災地の瓦礫処理をしにいっているボランティアの皆さんに失礼ではないか。
加えて、駅前で自己満足なパフォーマンスをやられると通行人に迷惑になっているような気がするのだがいかに。

一応、頑張って働いて社会保険料も税金も払っているんですけど、それじゃダメですか?

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コメント

  1. Pyotr より:

    Great inisthg. Relieved I’m on the same side as you.